売自党としての立岩真也批判。その卑劣な政治主張を糾す。
1995年発行の「性の商品化」(フェミニズムの主張2 江原由美子編集)を約20年ぶりに読み返した。その第六章が立岩真也の「何が〈性の商品化〉に抵抗するのか」なる文章だったのだが、「一言で言って卑劣な政治主張」という最初の印象は変わらなかった。
「何が〈性の商品化〉に抵抗するのか」を端的に説明するなら、「性の商品化に対する自らの嫌悪の「感覚」を根拠に、「買春が悪い」という前提ありきで否定の為の理屈を捏ね上げる文章」ということになるだろう。立岩の文章は結局のところ、「最低」だ「悲惨」だ「無残」だ「卑怯」だという立岩の感想もしくは感傷を仰々しく論文化したものに過ぎない。
立岩の主張をとりあえず順に並べると
「自由はこの社会の最高原理ではない」「自己決定は正当化されない」
「他者は他者であらねばならない」「他者があることは快楽だから」
「性はうまい具合に商品であることができおおせない」
「男は女を支配しようとしている」「男は支配という快楽を得ている」
「他者が他者であること、自らが他者であることが尊重されるべきだ」
といったところになる。
一見もっともらしい主張にも見えるが、現実には「性の商品化」を規制し禁止する法律や条例、そしてそれを根拠にセックスワーカーを弾圧する刑事司法や警察機構こそが、ワーカーを「他者として尊重」せず、むしろ逮捕や投獄によって「支配」し、時には快楽すら得ている。
風俗産業の労働者は、同意したわけでもないのに逮捕され、強制的に連行され、対価も払われずに会話を強要され、あげく身体を拘束されて法廷に引きずり出されたり、刑務所に監禁されたりしている。もちろん職場も潰される。これのどこが「他者としての尊重」なのか?。
ところが立岩は、そうした「支配」の現実は丸ごとキレイに黙殺した上で「これは「禁止すべき」という主張と同じではない」「禁止できるとか禁止すべきだとかいう主張には結びつかない」などと逃げを打ちまくりながら「性の商品化」を非難する理屈を拵え上げている。
現実社会で性労働が犯罪化され処罰化されている時に、学者が「性の商品化は悪い」なる主張を並べ立てれば、結果としてであれ弾圧を擁護し正当化することになるのは明らかであり、立岩の主張は結局「他者を尊重しろ。但し売春者は除外しろ」と煽動する代物でしかない。
従って、「支配は良くない」などともっともらしい美辞麗句を並べながら売春者への国家支配を美化する立岩真也の言説は、悪質かつ卑劣であると現在でも断定ぜざるを得ない。専門外なので詳しくはないが、安楽死の問題でも同様に卑劣な立ち回りをしていることが推測される。
「自由はこの社会の最高原理ではない」「自己決定は正当化されない」
「他者が他者であること、自らが他者であることが尊重されるべきだ」
などと言い立てながら、自分が「最低」だ「悲惨」だ「無残」だと考える他人の生き方や死に方を妨害する為に血道を上げているのであろう。迷惑なことである。
ちなみに私の「セックスワーク」に対する考え方は、「売春の自由党」公式HP( http://www.blue-wolves.org/baijitou.html )に上げてある文章において述べてある。十年以上前に書いた文章ばかりだが、現在でも主張は殆ど変わっていない。実際の運動になっていないのは残念だが、北朝鮮の問題の方が優先なので仕方が無い。セクマイは殆ど使えないし。